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<明鏡止水>古来から「フロー」に類似した概念は存在し、多くの人が人生の目的にした<無為自然>

  • 執筆者の写真: 伊賀上真左彦
    伊賀上真左彦
  • 5 日前
  • 読了時間: 7分

更新日:5 時間前



本記事を動画にしました

何かに夢中になっているうちに、気づけば数時間が経っていた。


自分がどう見られているかも忘れ、目の前のことだけに意識が向いている。努力している感覚さえ薄くなり、考えるより先に身体や頭が動いていく。


こうした状態を、心理学では「フロー」と呼びます。


フロー状態では、時間感覚が変化したり、自己意識が弱まったり、行為そのものに深く没頭したりすることが知られています。現代の研究でも、フローは楽しさやウェルビーイング、仕事へのエンゲージメントなどと正の関係を持つことが報告されています。


フローを体系的な心理学概念として提示したのが、心理学者ミハイ・チクセントミハイです。1975年の著書『Beyond Boredom and Anxiety』で理論化され、その後、多くの分野で研究されるようになりました。


つまり、心理学の概念としてのフローは比較的新しいものです。


しかし、人類がこの状態を知ったのは1970年代ではありません。



2000年以上前から、人は「フロー」に近い状態を求めていた

古代の思想や宗教を調べてみると、フローと驚くほど似た精神状態が繰り返し登場します。

もちろん、それぞれの概念には異なる思想的、宗教的背景があります。そのため、フローと同一視することはできません。


それでも、

  • 「雑念が消える」

  • 「自分を意識しなくなる」

  • 「対象と一体になる」

  • 「力まず自然に行動できる」


といった特徴には、大きな共通点があります。


私なりに、フローとの類似度を5段階で整理すると、次のようになります。


名称

内容

フローとの類似度

庖丁解牛(ほうていかいぎゅう)

『荘子』に登場する料理人が、長年の熟練によって牛をほとんど意識的に見ず、自然な動きで解体する境地。高度な技能、没入、努力感の低下という点で非常に近い

★★★★★

無為自然(むいしぜん)

無理に物事を動かそうとせず、自然の流れに従って行動する老荘思想。力まず自然に動く感覚がフローと似ている

★★★★☆

心斎(しんさい)

『荘子』に登場する、先入観や雑念を取り払い、心を空にして対象に向き合う考え方

★★★★☆

坐忘(ざぼう)

自分の身体や知識、立場などへの意識を忘れ、自己への執着から離れる境地

★★★★☆

禅定(ディヤーナ)

古代インドに由来する深い瞑想状態。注意が一つの対象へ集中し、余計な思考が弱まる

★★★★☆

三昧(サマーディ)

深い精神集中によって、対象と意識の境界が薄くなる状態。自己意識の希薄化という点で近い

★★★★☆

明鏡止水

鏡のように澄み、水面のように静かな心。雑念や感情に振り回されない精神状態

★★★★☆

なかでも興味深いのが、古代中国の『荘子』に登場する「庖丁解牛」です。


料理人の庖丁は、最初の頃は牛そのものを見ていました。しかし熟練するにつれ、意識的に牛を見ながら包丁を動かす必要がなくなっていきます。


身体が牛の構造に沿って自然に動く。


難しい場所に来れば集中するものの、基本的には無理な力を使わず、まるで踊るように作業を進めていく。


現代の研究者も、『荘子』の庖丁の逸話を高度に熟練した技能の例として論じています。Stanford Encyclopedia of Philosophyでも、庖丁が意識的に細かな動作を管理するのではなく、熟練によって対象へ集中できる状態が説明されています。


これはかなりフローに近い。


2000年以上前の人々も、

「人間が最高の状態で何かをするとき、力む必要がなくなり、自分自身さえ意識しなくなる」

ということに気づいていたのではないでしょうか。



古代の人が求めた「理想の精神状態」

もちろん、無為自然も、禅定も、明鏡止水も、フローそのものではありません。

目的も違います。


老荘思想では「道」に沿って生きることが重要ですし、インド思想や仏教の瞑想には宗教的な目的があります。


一方、現代心理学のフローは、スポーツ、仕事、芸術、勉強、ゲームなど、具体的な活動の最中に起こる心理状態として研究されています。


それでも非常に面白い共通点があります。


古代の人々が理想とした精神状態の多くが、余計なことを考えず、今この瞬間に集中し、自分という感覚さえ薄れていく状態だったことです。


人間が心地よいと感じる精神状態の本質は、2000年前も現代もそれほど変わっていないのかもしれません。


だから私は、フローは単なる「仕事を速くするテクニック」ではないと考えています。


フローそのものが、人生の一つの目的になり得る。



フローのその先へ

では、私たちは何を目指せばよいのでしょうか。


最初の目標はシンプルです。自分の意思でフローに入りやすい環境と習慣を作ること。


ディープワークや「集中力ファースト」で紹介している方法を使い、通知や雑音を減らし、一つの課題に集中する時間を確保する。


そして、自分の能力と課題の難易度が適度に釣り合う仕事に取り組む。


フロー研究でも、課題の難易度と本人の技能のバランスは、フローを生み出す重要な条件の一つとされています。


まずはここを目標にしてみてください。



フローを習得したら、「何に使うか」を考える

そして、その次が重要です。集中できるようになること自体が、最終目的ではありません。

その集中力を使って、何を実現したいのか。


  • 学校に入りたい。

  • 難関資格を取りたい。

  • プログラミングを習得したい。

  • 本を書きたい。

  • 研究をしたい。

  • 会社を作りたい。

  • 絵を描きたい。

  • 何でも構いません。


高い集中状態では、余計なことに認知資源を奪われず、一つの課題へ深く取り組めます。

だからこそ、同じ1時間でも、中身は大きく変わります。



第二段階は「やりがい」を見つけること

ただし、フローには一つ面白い性質があります。


何にでも同じように入れるわけではありません。


フローは一般に、本人が活動そのものに深く関与し、明確な目標を持ち、自分の技能を使える活動で起こりやすいと考えられています。フロー研究では、活動そのものが報酬となる「内発的な動機」も重要な特徴として扱われてきました。


だから、集中力を身につけた次に必要になるのは、「自分は何にやりがいを感じるのか」を探すことです。


そして見つけた対象に、自分の集中力を投入する。


私はこれを、フローの第二段階だと考えています。


フローそのものを経験する段階から、

フローを使って、自分が望む方向へ人生を進める段階

へ移るのです。


目標に向かっている時間こそ、楽しい

そして、ここには少し皮肉なところがあります。一つの目標を達成すると、喜びはあります。しかし、しばらくすると慣れてしまいます。


すると次は、今までより少し難しい目標が必要になります。


技能が上がれば、それまで難しかった課題では物足りなくなるからです。


  • 簡単すぎれば退屈する。

  • 難しすぎれば不安になる。

  • その間に、自分を少しだけ押し上げてくれる課題がある。


そこがフローの生まれやすい領域です。


そう考えると、人生で一番楽しい瞬間は、目標を達成した瞬間ではないのかもしれません。

むしろ、少し難しい目標を設定し、それに向かって夢中で進んでいる時間。その時間こそが、最も充実しているのではないでしょうか。


  • 目標を達成する。

  • 技能が上がる。

  • さらに高い目標を見つける。

  • また夢中になる。

その繰り返しです。



フローを人生の目的にする

2000年以上前の人々は、「無為」「坐忘」「明鏡止水」「禅定」といった言葉を使って、人間にとって理想的な精神状態を探してきました。


現代の私たちには、「フロー」という心理学的な概念があります。


もちろん両者は同じものではありません。しかし、そこには共通する一つの方向があります。雑念から離れ、自分を忘れ、今やっていることそのものに没頭する。そして、その時間を増やしていく。


  • フローを身につける。

  • フローを使って目標に向かう。

  • 目標を達成したら、また次の挑戦を見つける。


人生をそういう時間で満たせるのであれば、それはかなり幸せな生き方ではないでしょうか。


フローは成功するための手段であると同時に、それ自体が人生の目的にもなり得る。

私はそう考えています。


他人と自分を比較して落ち込む必要はまったくありません。比較すべきは昨日の自分だけです。


そして他人から「意味はない」と言われても、自分が「フロー」に入れるくらい熱中できるなら、それは最高の人生です。

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